ぼくら家族は、庭からはじまった。/ 育休1週目

ぼくら家族は、庭からはじまった。育休1週目

 昨夜、予定日より5日遅れて息子が生まれた。
30時間以上に及ぶお産は、想像を超えて過酷だった。


 もともとぼくらは、こどもがいない人生を選択していた。
夫婦で生きることが十分すぎるほどに幸せだったからだ。おまけに、子育てにかかるお金は2000万円超とも言われている。頭で考えると、夫婦で生きることが解だと思えた。とくに妻は、コントロールできない・予想できないことが苦手で、結婚する前から「こどもはいなくていいと思う」と口にしていた。

 ふたりの考えが変わり始めたのは、2021年に千葉の房総に移住したあとだ。パソコン仕事の反動なのか、900平米の庭がある一軒家に流れ着いた。

 当初は、草木らの無尽蔵な成長に呆然とした。
刈っても刈っても、切っても埋めても、もっと大きな力の中に飲み込まれていく。けれど、こちらが起こした行動にまったく反応がないわけではなく、小さいけれど変化の兆しは感じとれるのがさらに憎い。到底、理想の姿なんかにはコントロールできないが、変化の始まりには介在することができる。
 やがてコントロールできないということを、許容し始めた。受け入れたというよりは、じぶんの傲慢さを手放した。

 自然は、敵でも味方でもなく、恐ろしいほどにフラットだ。
植物も動物も、生きる意味があるわけでなく、生きているから生きてる。生きている目的やメリットがないと生きられない人間は、なんて不自然なのか。


 「こどもがいても自然なのかもね」
どちらから言い出したのか忘れてしまったが、そんなことを会話するようになった。1年間妊活してみて、縁がなかったら夫婦で楽しく生きていく。もし縁があれば、それを受け入れると決めた。じぶんたちの頭だけで考えず、自然に委ねようと。


 しばらくして妻は、そのままでは妊娠しにくい身体だということがわかった。なんども通院し、嚢胞を手術し・・・この一年は、妻にとって自然ではなかったかもしれない。

 妊活をはじめてちょうど一年、妊娠がわかった。
いちばん予想外だったのは、妊娠を知ったときぼくの頭は、アンパンマンの顔が入れ替わるようにスコーンと変わってしまったこと。それが喜びなのか驚きなのか責任感なのか、本棚に眠っていた感情表現辞典を広げてみても見つからなかった。ただ、もうこどもがいない未来を想像できない脳に変わった、ということだけはわかった。


 音楽家・美術家のブライアン・イーノは言う。「建築家ではなく、『庭師』のように考えよ。終わりではなく、始まりをデザインせよ」と。ぼくらはゴールをデザインしすぎているのかもしれない。ゴールを描き、あらゆる日常を手段化させてしまっている。

 こどもをより良く育てることをゴールに置くと息苦しいが、「始まりをデザインし続ける」と捉えると気持ちが軽くなる。なにげない毎日だって、始まりの連続なのかもしれない。
ゴールを手放し、始まりを楽しむことにしよう。


 ぼくらは夫婦で1年間育休をとることにした。
同僚に「長く育休をとろうと思う」と話したところ、「一年休むの?」と返され、そうすることにした。身に余るほど、豊かな人と(草木と虫たち)に恵まれている。 

 せっかくなら、じぶんが見つけた小さな発見を書き残していこうと思う。こどもや妻のためだけでなく、だれかの始まりに、ちょっとでも発見の種を届けられたら嬉しい。いまだ荒れているぼくの庭のようなことばでいいから。




©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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