父性の役割 / 育休22週目

父性の役割 育休22週目

 その夜、雹(ひょう)が降った。

 平屋の屋根に轟音が鳴りはじめたとき、状況が理解できなかった。ぼくは大木が倒れてきたと感じたし、妻は動物の大群に体当たりされていると感じた。それくらいの衝撃音だった。

 息子は、驚いて一瞬硬直し、不安そうに妻の顔を見る。
妻が「大丈夫だよ。びっくりしたねぇ」と笑顔をむけると、安心してニコっと笑い返す。息子は異変を感じると、すぐに妻の顔を見る。人が家に遊びに来たときも、掃除機の音が聞こえたときも。妻の表情で、敵か味方かを判断しているらしい。


 雹がやみ、家に平穏が戻ってくると、スピーカーから流れてきた『君をのせて』(天空の城ラピュタの主題歌)の歌詞が耳に入ってきた。

 『父さんが残した 熱い想い 母さんがくれた あのまなざし』

 母性は直接的で具象な存在として描かれ、父性は間接的で抽象な存在として描かれている。
母性の役割はイメージしやすい。母のまなざしに見守られながら、こどもは育っていく。では父性の役割とは何なのか?ぼくの中にある父性が、こどもにできることは何なのだろう。


 

 ぼくなりのひとつの答えは、ご機嫌ななめな息子をあやすために「たかいたかい」をしてるときに降りてきた。生まれてからもうすぐ5ヶ月。最近の息子は、未知なものや新しい視界に出会うことに興味を示す。新しい柄の服を着させると、かじるように見るし(じっさいにかじることも)、特にたかいたかいをしてあげたときは、声をあげて楽しそうにする。

 NICUから退院して、家で暮らし始めたときは、あらゆる新しいこと臆病に見えた。手をぶるぶると震わせて、怖がる姿をよく見かけた。産まれてすぐ、大変なことが多かったからかもしれない。そんな息子が、ぼくらと暮らした3ヶ月のあいだで、身体の成長とともに、未知への姿勢も変わっていった。

 母性がやさしく包み込む存在だとしたら、父性は未知の世界に踏みだす楽しさや勇気を、身をもって示すことではないか。

 2023年3月11日。息子は、じぶんで寝返りできるようになった。
仰向けに戻しても、すぐにコロンコロンと寝返りを打って、うつ伏せになる。じぶんでは仰向けに戻れない片道切符なのに、そんなことは気に留めず果敢に挑みつづける。その顔は、冒険にでかける勇者の表情。いつも背中側に回ってしまうよだれかけも、マントのようだ。

 そんなこどもの成長は嬉しいけれど、同時にちょっとした寂しさも感じてしまうのは、どうやら母性と父性、共通の心情らしい。このままハイハイするようになって、歩くようになって、気がついたら親元から巣立っていく。すべての成長が、ぼくらから離れていくための階段を登っているように思えてきて切なくなる。

 けれど、臆病で怖気づいているより、知らない世界へと元気に飛びだしていく息子の姿を見ると、やはり嬉しい。親のエゴに蓋を閉じ、うつ伏せで頭を支えきれず床にはいつくばっている息子を、そっと仰向けに戻した。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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