こどもは人生の制約か / 育休44-45週目

こどもの人生は制約か 育休44ー55週目

 この夏、外食や旅行にはほとんど行けなかった。
息子の好奇心はますます旺盛になり、チャイルドシートに長く座っていられず、ところ構わず大声で騒いでしまうこともあるので、外に出るハードルはむしろ上がっている。

 その代わりと言ってはなんだが、家庭用ビニールプールを購入した。2メートルほどの大きさで、田舎の一軒家の庭に置くにはちょうどいい。まさにプール日和なうだるような暑さの中、満を持して入ってみることにした。

 妻に「いっしょに入る?」と誘ってみたが、首を横に振る。
引き出しの奥に眠っていた海水パンツを履いて、いざ庭のプールへ。息子を抱えて水に入ろうとすると、初めての体験で怖いのか泣き出してしまう。もう一度ゆっくり着水しようと試みると、蝉たちの鳴き声を打ち消すぐらいに泣き喚く。  

 「ぼくではダメみたい」結局、妻にも水着を着てもらうことに。やはり母の力は偉大。妻に抱っこされながらは安心するらしい。最初は恐る恐る水に浸かっていたが、すぐに元気に水で遊ぶようになった。

 庭で親子3人でプールに入っている。夏の何でもないような風景だが、もし息子がいなかったら存在しなかった日常だ。そもそも庭でプールに入ろうなんて思わなかっただろうし、万が一ぼくがそう思い立ったとしても、妻は付き合ってくれなかっただろう。

 先日、「生涯子供なし最大42%」というニュースが目に入ってきた。
将来への不安や、子育て以外の選択肢が多くなっているのが要因だと触れられていた。もともとぼく自身も、こどもは人生の負担や制約になると思っていた人間だ。もちろんこどもがいることで大変なことや、しづらくなったこともある。でも不自由か、じぶんらしく生きられていないかと問われたら、そんなこともないような気がする。

 庭で家族でプールに入っているのも。こどもが遊ぶかもしれないからと、一念発起して中古ピアノを買い、すきま時間で弾き始めたのも。もともと夜型の夫婦が、午前5時に散歩するようになり、朝露で濡れたクモの巣をイルミネーションみたいだと驚いたのも。そんな日常は、夫婦で生きる人生には存在しなかった。

 こどもがいることを制約と捉えることもできるし、考えようによっては、こどもがいないことを制約と捉えることもできるのではないか。人の意思で制約をなくすことなんてできなくて、制約はじぶんの外からギフトされるもの。その制約をどう捉えて遊びこなすかに、自由やオリジナリティがある。今ではそのように感じるようになった。

 この夏の別の日常も、あったのだと思う。
けれどせっかくこどもがいる人生に身を委ねたのだ。「2人ではやろうと思わないけれど、3人だからやりたいことってあるかな?」と妻に尋ねると、少し考えて「アンパンマンこどもミュージアムに行ってみたい」と言う。

 ぼくの故郷の仙台にもある施設らしい。今の息子の状況では、千葉から仙台に移動するのは難しそうだけれど、帰省できるタイミングがきたら行ってみたいと思う。なぜか息子はアンパンマンが描かれたボールを激しく嫌っていたのだが、3ヶ月間くらい経って拒否しなくなった。

 こどもいることの大変さでもあり面白さは、状況が目まぐるしく変化していくこと。朝令暮改なクライアントと仕事をするよりも、根気や創造性が求められるときもあるが、むしろこの変化し続ける波を乗りこなしていきたい。驚くほど1日が一瞬で終わってしまう毎日だけれど。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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