子育てに短編小説を / 育休41週目

子育てに短編小説を 育休41週目

 映画『シン・ウルトラマン』を見終えるのに、半年もかかった。
息子と家で暮らすようになってから鑑賞し始めたのが、テレビの前に夫婦が揃う時間はそうそうとれない。やっとのことで上映にたどりついても、怪獣の鳴き声や足音は琴線に触れるらしい。隣の部屋で寝ていた息子が起きてしまい、あっけなく幕が閉じたことも。

 テレビや映画を見る機会が減ったぶん、短編小説を読むようになった。
ほとんど小説を読んでこなかった人生なのだが、子育てと短編小説は息が合う。30分もかからず気軽に読めるものが多く、また紙の本なら音も光も発しないので、昼夜問わず好きなタイミングで読めるのもありがたい。

 新潮文庫の『日本文学100年の名作』シリーズなど、いろいろな作者の作品を楽しめるアンソロジーが、とくにお気に入りだ。24時間ずっと地続きな子育ての中で、父親やじぶんという役割から解放され、千差万別な世界へと連れ出してくれる。小説はけして不要不急なものではなく、忙しく現実に向き合っているときほど、物語でしか癒せない領域があるのだと知った。

 いつも通りにバタバタと日常を送っていると、ある日突然「物語の効用」を実感させられる物語の中にいた。

――5月のよく晴れた日の昼下がり。
「今から、母さん来ていい?」唐突に妻が聞いてきた。「え、今から?」ぼくは反射的に聞き返す。

 「うん、ふと思い立ったみたい」
なんと静岡からひとりで車で来ると言う。ぼくらが住む外房まで300キロはある。今までも何度か来ようと思ったことはあるが、考えだすと動けなくなってしまったらしい。義母とはこどもが生まれる前に同居していた時期があったのだが、こどもの顔をまだ直接見せられていなかった。

 「やった!」ぼくは身体が飛び上がっていた。けして義母に気を遣ったわけでない。なんでもない日常に、前触れもなく非日常が入り込んできたことに、無性に心が躍っていたのだ。でも、ほんとうに来るのか?そもそも来れるのか?どちらに転んでもよいように部屋を少し片付け、ふだん通りに過ごすことにした。

 すっかり日が暮れ、時計は20時をまわる。到着予定時刻を大幅に過ぎ、とうに息子は寝ていた。妻の携帯が鳴る。「カーナビでは近くまで来てると思うんだけど、山の中みたいなところに迷いこんでしまったみたい」。ほとんど街灯がないぼくらが住む住宅地。ぼくは家の外に出て、スマホの光を照らしながら探索に向かう。

 暗闇のなかでポツンと光るヘッドライトを見つけたときは、深海でアンコウ同士が出会えたみたいで、しぜんと笑えてきた。義母は開口一番に「遠かったあ」と安堵の息を漏らす。荷物をおろし一段落ついてから「で、いつまでいるの?」と妻が尋ねると、「なにも決めずに来ちゃった。晴れている日に帰ろうかな」とつぶやくように言う。

 予想外の返答に、「なんだか吉本ばななさんの小説みたい」と妻はツッコミを入れ、3人の笑いがこぼれる。ぼくも非日常な物語の中にいる感覚を楽しんでいた。 

 義母には、2階の屋根裏部屋みたいな部屋に寝てもらった。息子は驚いたにちがいない。朝起きたら突然、知らない人が現れたのだから。けれど“屋根裏暮らしのばあば”に、息子はよく懐いた。唐突にやってきて、いつ帰るのかもわからない義母。その行方は太陽にしかわからない。ご飯を食べたりオムツを替えたり散歩をしたり、ごくふつうの日常を過ごしているのに、じぶんたちがどうなっていくのかわからない物語の中にもいた。

 4人暮らしが始まって3度目の朝。起床すると義母は支度をしていた。障子を開けると快晴だ。あのセリフはほんとうだったらしい。「もう少しいたら?」と喉まででかけたことばを引っ込めた。義母はいろいろ考えた末、意を決してこの非日常な物語に身を任せているのだ。

 現実に引き戻し、変に考えさせてしまっては、きっと帰るタイミングを逃してしまう。ぼくもこの流れに身を委ね楽しむことにしよう。その後、義母は何度もお礼を言いながら去っていった。ぼくらと太陽の物語は、何ごともなかったように閉幕し、いつものじぶんではなかったような読後感だけが全身に残った。物語は、じぶんを超えていく力を持っているのだ。   


――6月のよく晴れた日の夕方。
いつものように3人で散歩をしていた。「いい天気だねえ、静岡でも帰る?」ぼくは頭に浮かんだままに口にする。妻は、落ち着いた口調で「いいよ」と答えた。

 たまたま数日間予定が空いており、夜泣きも落ち着いている時期だったので、タイミングもちょうどよかった。息子が眠る夜にかけて運転するのはむしろ好都合だ。 

 じつは過去にも、妻の親族がいる静岡に帰省しようと思ったことは何度かあったが、義両親から「0歳で長距離運転は大変だから、もっと大きくなってからでいいよ」と強く押し返されてしまっていたのだ。でも今日は、夕日が「帰るのなら今だ」と言っている。

 妻から電話をしてもらう。「晴れてるから、いまから静岡に帰るね」。偶然にも義母も、来客用の布団カバーを洗濯しようと思った日らしい。終わったはずの物語の歯車がまた回りだし、0歳の息子を連れての旅が始まった。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
ほぼ毎週「育休エッセイ」更新中 → 一覧はこちら