息子が、ことばの存在をわかりはじめた。
いちばん最初に覚えたのは「うばっ」。ぼくが食事中に「うまっ」と言ったのを耳にしてから、日常のふとした瞬間に「うばっうばっ」と頻繁に発するようになった。
また、ぼくを「とおと」、妻を「たあた(かあか)」と呼んでくれるときもあるが、壁やおもちゃに「ととー!」と話しかける姿もたびたび見る。意味がわかっているのか、聞き覚えのあることばを口ずさんでいるだけなのか、傍目からはわからない。
でも先日、「いま、ことばで通じあったな」と思った瞬間が訪れた。
こども向け絵本『だるまさんの』を読み聞かせしているときだった。手が大きく描かれているページで、ぼくが「手」と話しながら手のひらを絵本に当てると、息子も「て!」と口にする。
「そうそう、手だよ、手!」と伝えると、息子は虹彩を輝かせ、なんども「て!て!て!」と発しながら絵本にじぶんの手を叩きつけ、ぼくの顔をのぞいてきた。
その時、身体の奥のほうの体温があがったように感じた。「手」と言えたくらいでおおげさだなとも思ったが、なぜそう感じたのかを胸に聞いていく。それは、ことばで「手」という情報を交わしたこと以上に、ことばでお互いに通じあった「嬉しさ」を共有できたからではないか。
情報や意味というのは、地上にでていることばの一部でしかなくて、じつはことばの根っこはもっと人間の奥深く、心や魂といった思いがけない深さまで伸びており、その奥深い部分で情動をわかちあえた喜びを感じたのではないか。
人と人がことばで深く通じあった、ヘレン・ケラー家族のエピソードが頭をよぎる。
ヘレン・ケラーといえば、サリバン先生と出会い、尋常でない努力でことばを習得していった話が有名だ。でもぼくが同じくらい心に残っているのは、ご両親がもっとも嬉しいと感じたという瞬間の話。
獣のようなわがまま放題だった状態から、意思疎通ができるようになっていく過程で、ご両親にはたくさんの喜びがあったと回想録には残されている。その中でも、もっとも感極まった出来事は「はじめてのクリスマスの食卓」だったという。
7歳ではじめてクリスマスの存在を知ったヘレン・ケラー。昨年までは食卓に座っても暴れ倒していた彼女が、家族みんなで食卓を囲み、幸せをわかちあえた聖夜の時間。そのクリスマスのご両親の喜びを想像するだけで、胸がいっぱいになる。
ヘレン・ケラーが困難な状態でもことばを会得できたのは、彼女に特別な才能や根気があったからだと、元々ぼくは思っていた。でも最大の理由は、家族やサリバン先生からの深い愛や献身的なサポートを受け、彼女自身が誰よりもその大切な人たちと通じあいたかったからではないか。
「大切な人と気持ちをわかちあいたい!」「このおいしさを伝えたい!」などの情動や相手への興味が、ことばの根を身体の奥深いところまで張る。たとえ目や耳が聞こえない障害があったとしても、それを突き破るほどの力を持って。
息子と少しずつことばを交わすようになった今は、そう思う。
いよいよ我が家にも、クリスマスがやってくる。息子はまだクリスマスを認識していないけれど、人生において1〜2回しかないであろう、クリスマスになる前のクリスマスを楽しもうと思う。
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1年間書きつづけた育休エッセイは、ことばが通じない時間で出会えた発見たちを書き溜めてきた。
1歳になり、今回から始めた「育児エッセイ」は、ことばがだんだんと話せるようになり、日常や家族がどう変わっていくのか。その発見たちを、マイペースに書き綴っていきたい。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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