システムの触手 / 育休21週目

システムの触手 育休21週目

 やつらは、顔を変えて生活に忍びこんでくる。

 妊娠中から、子育てに関するさまざまなダイレクトメールが届くようになった。
幼児教育や英語学習サービス、離乳食のサブスクまで。「このシステムに乗っかれば大丈夫!ぜんぶうまくいく!」といった、耳当たりのよいフレーズとともに歩み寄ってくる。

 そのシステムたちは、ときにアンパンマン・ミッキー・プーさん・しまじろうなどのキャラクターを広告塔に、顔を装いながら「こどもにいい人生を送ってほしい」と願う親の気持ちを巧みに刺激する。

 販促物を手にとってみると、入会金が数十万するものや、月々の会費もけして安くはないものも多い。こどもたちの想像力を自由に解放するはずの物語のキャラクターたちが、システムの内側に人を飲み込むための触手となり、加担させられているようにも思えてくる。

 こんなことを書いているぼく自身も、GoogleやAmazonなど、たくさんのシステムの恩恵を受けながら暮らしている。その利便性は享受しつつも、どうしたら過度に依存せずに生きられるのか、漠然とした不安を抱えている人は少なくないはずだ。

 無料で使えていた便利なシステムが、ある日とつぜん有料となり、じわじわと会費をあげられていく。気がついたときには、そこから逃れる他の手段は失っている。そんなことは、けしてSFの話ではなく、日常にありふれた話。

 システムやテクノロジーとどう付き合っていくのか。その判断軸に、ぼくが大きな影響を受けた本がある。それは2022年に創刊された『新百姓』というインディペンデント雑誌。その本の中で、「パワーツール」「ハンドツール」の概念が紹介されている。

 パワーツール=中身がどんなふうに動いているのかわからない、魔法のような道具 
 ハンドツール=どういう仕組みでできているか理解でき、定義や改善をじぶんたちでできる道具 

 パワーツールは「なにも考えなくて大丈夫!面倒くさいことはぜんぶやってあげるから」と仕組みをブラックボックスにして依存体質をつくり、利益を独占的に支配することができる。『新百姓』では、人間を依存させるテクノロジーから、依存から解放するテクノロジーを選択していく未来への希望が書かれている。

 なにかのシステムを取り入れるさい、「ハンドツールかどうか」をぼくも考えるようにした。
「なおせるのか?つくれるのか?他に選択肢を持てるのか?」を問う。たとえば最近も、こどもの写真をGoogleフォトに保存しつづけるのか夫婦間で話にあがったが、いざとなったら他の選択肢もあると判断し、いまのところは使いつづけることに。

 ぼくらの向き合い方しだいで、システムは人を依存させる存在にも、自由にしてくれる存在にもなる。そしてもう一つ希望がある。物語やキャラクターたちは、システムをも超える力を持つことがあること。使い方しだいで、人の世界をどこまでも自由に広げてくれる。

 いまこの瞬間も、息子はアンパンマンが描かれたおもちゃに目が釘付けになっている。息子だけではない。ぼくの脳内からもアンパンマンの歌が離れなくなり「愛と勇気だけが友だちさ〜♪」と無意識に口ずさんでいると、「友だちいないんだね」と妻が毒をはく。

 システムには依存しすぎない方がよいが、好きな物語や頼れる仲間は多い方が、自由には生きやすいはずだ。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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