母語を贈ろう / 育休25-26週目

母語を贈ろう 育休25ー26週目

 「てん てん てん てん ででん」
息子はこのフレーズを聞くと、エヘエヘヘと声を出して笑い転ける。

 じつはこれ、赤ちゃん向け絵本『にこにこ』で、てんとう虫が登場するシーンのオノマトペ。最初は何がそんなに面白いのかわからなかったが、読み聞かせるたびに笑うものだから、だんだんとぼく自身も心地よい音だなと感じるようになった。

 こどもが生まれる前は、英語を話せるような環境で育てたいと思っていた。
けれど、息子に絵本を読み聞かせしていると、「日本語ってうつくしいなあ」と感心させられることが幾度もある。色とりどりなオノマトペや、日本の風土をテーマにした童話などを原文で味わうことができるのはジャパニーズネイティブの特権だ。

 もし英語がマイナーな言語なら、こどもに学ばせたいと思う親はどのくらいいるのだろう?母語よりも、経済力のある国のことばを競うように幼児教育する状況は、強国が従属させた国の公用語を変えようとすることと大きく違わないのでは?そんなとりとめのない思考が頭をめぐる。

 ぼくは、日本語を息子に贈ろうと決めた。
いっしょに暮らすことで、自然とそう思うようになった。生き抜く手段としての言語よりも、ことばそのものの楽しさを伝えたい。「LとR」の発音を聞きわける耳はギフトすることはできないが、ことばをうつくしいと感じることや、じぶんでことばを紡ぎ出すことの面白さなら、全身を使って共有できるはずだ。

 世界中のマイナー言語を研究している言語学者の伊藤雄馬さんは、「ネイティブとは、詩をつくれること」と定義している。ことばで交流したり、相手を行動させたりすることを超えて、詩をつくれることはその言語の立派な成員になる行為だと彼は言う。 

 広告業界では、作者の独りよがりで何の行動変容も生まないことばのことを「ただのポエム」と批判する人がいる。ぼく自身も、そのことに違和感を持つこともなく生きてきたが、むしろ子育てをする今は「いい詩人がいない国は滅びるのではないか」とさえ思うようになった。

 世界に7000以上ある言語のうち、今世紀中には半数以上が消えてなくなると予想されている。一つひとつの言語には、その言語ならではの感じ方、考え方、うつくしさがある。そこに、ますます人口が減っていくマイナーな言語のひとつである日本語を母語にする意味もあるのではないか。 

 コミュニケーションだけがことばの役割でないと、まだことばが話せない息子から教わった。
そして、新たな目標も芽生えた。息子が大きくなったときに「日本語が母語なのも悪くないな」と感じられるようなことばを、ひとつでも多く書きたい。

 「てん てん てん ででん」とぼくは、ちょっとしたライバル関係になった。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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伊藤雄馬さんの発言は、『kotoba 2022年秋号』を参考にしました