見知らぬ善意 / 育休13週目

見知らぬ善意 育休13週目

 こどもができると、見知らぬ人から声をかけられることが増える。

 妻の妊娠中は「男のコ?女のコ?」。こどもが産まれると「何ヶ月ですか?」。そんな一言とともに、電車の席を譲ってもらうことや「がんばってください」と励ましのことばをもらうこともあった。

 その人たちは、頭で考えて声をかけているのではなく、赤ん坊という存在に対して、反射的にことばを発しているように見えた。

 正直に言おう。ぼくも妻も、けして社交性のあるタイプではないので、戸惑うことも多かった。ありがた迷惑と感じたことさえあった。そんな考えが、色彩を発しながら変わるできごとがあった。


 息子がNICUに入院していた約2ヶ月間、ぼくら夫婦も病院の施設に滞在していた。ある日、ぼくの携帯電話が鳴る。ヤマト運輸のドライバーさんからだった。半年前に申し込んだ「ふるさと納税」の返礼品が自宅に届いているとのこと。中身はフルーツらしい。

 「こどもがNICUに入院していて、しばらく家に帰れず、受け取れないんです」と、ぼくは困りながら話す。
 「わたしの方で対応できるかわからないですが、病院に届けられるかやってみます。もし難しかったらお電話します」彼はそう応えて、住所を確認すると電話が切れた。

 翌々日、病院にひとつの段ボールが届いた。箱いっぱいに、ラフランスとリンゴがつまっていた。白黒の世界に、突如としてカラフルな色彩が出現したかのような感覚。当時は「いい人もいるものだなぁ」と深く感銘を受けたが、やがて息子も退院し慌ただしい日常が流れる中で、そんなことがあったことも透明に薄れていった。

 年末のある日、家のチャイムが鳴る。たまたま妻がオンライン会議中だったので、こどもを抱っこしながら玄関の扉をあける。ヤマト運輸の宅配業者さんが立っていた。

 「あっ退院されたんですね、おめでとうございます。ぼくのこどももNICUにいたことがあったんで心配してたんです」。彼が、ラフランスとリンゴを届けてくれた本人だったのだ。

 後々調べてみると、発送先の変更は「到着前にお客さん自身で変更すること」が原則らしい。つまり彼は、自主的に対応をしてくれたのだ。きっと彼は、頭で考えるよりも先に、口が言葉を発していたのではないか。

 「善意」は、頭の中を通ってくるものではない。日常のなかで知らず知らず、からだの奥まで染み込んだもので、脊髄がしぜんと反射してしまうもの。いまはそう感じるようになった。

 公園で知らない人とすれちがったときに、軽くほほ笑む会釈。エレベーターで開閉ボタンを押し、どうぞと先を譲る行為。「あなたも生きている」「お元気で」「いい一日を」という事実を、軽く確かめる挨拶のようなもの。すぐに忘れてしまうが、何も見返りを求めないその微笑たちは、何でもない日常を彩る美しいもの。

 思い返せば、今まで声をかけてくれた名前も知らない人たちは、一人残らずよい顔をしていた。ありがた迷惑なんて思ったじぶんが、気恥ずかしく感じてくる。  

 見知らぬ人が声をかけてくれるのも、こどもが小さいうちの束の間のできごと。ありがたく全身で感じることにしよう。せめて善意の「ぜ」の文字くらいは、からだに染み込むといいなとは思う。じぶんの名前にも「ぜ」がつくのだからさ。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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