息子がエヘエヘと声をだして笑うようになった。ぼくは37歳になった。
庭に囲まれた家で子育てをしていると、しぜんと季節の流れを意識してしまう。もし80年の人生を四季にたとえるのなら、息子は春のはじまりで、ぼくは晩夏のもうすぐ秋という時期になる。
息子に身をゆだねると、同じ空間を共有していても、異なる季節を生きていると感じられる。
土の中から、限りない数の生命たちが生まれ出ようと、近づいてくる春の足音。そんなあり余る生の鼓動が、彼の身体からは聞こえてくる。一日単位で成長し「昨日までこんなに大きかったっけ?」と驚かされることの連続。
ぼくの春の季節は、とうに過ぎ去ったものだと思い知らされる。でも、もういちど春から生きなおせと言われても、正直しんどいかな。息子にバトンを受け渡せるなんて、けして悪くない、春との別れだとも思う。
庭に身をゆだねると、それぞれの四季の中にも、異なる季節が同居していると感じられる。たとえば秋の中にも、春も夏も冬だって存在しているのだ。秋には、地味な印象を持っていたのだが、毎年そのイメージを覆されていく。
キラキラと煌めく黄金色の枯れ草
太陽に温められ、土から湧きたつ銀色の蒸気
空気に音と色彩をまとわせる紅葉のつむじ風
野鳥をうずかせる原色に熟れた果実たち
秋にも、夏みたいに輝かしく、春みたいに騒がしい時間が流れている。心理学者の河合隼雄氏は、秋や冬の中に、春や夏を見出せるようになることが、中年特有の心の不安定さと向き合う方法のひとつだと言う。いよいよぼくも、中年への身支度がはじまったということか。
さようなら春。こんにちは、秋の中のあたらしい春。
ちなみに庭のある暮らしをはじめて、いちばん好きな季節が、春から秋に変わった。
草刈りをしなくていいし、虫たちとの攻防戦も一時休戦。それに果樹もたくさん実る。夜は暗ければ暗いほど、星の輝きはその明るさを増していく。
人生の秋冬をむかえる・むかえている中年の皆さんに、いま一度「庭」を提案したい。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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