ヨコの世界とタテの世界 / 育休15週目

ヨコの世界とタテの世界 育休15週目


 育児をしていると、コツを発見することがある。

 そのひとつが、縦に抱くと泣き止むこと。ここ最近は首がすわってきたので、息子の顎をじぶんの肩に乗せて抱える「縦抱き」がしやすくなった。

 空腹で泣いているとき以外は、ピタッと泣き止む。もはや「縦に!縦にしろ!」と泣いているようなときもある。息子の要求どおり縦に抱いてあげると、目を見開いて周りをキョロキョロしたり、頬をぼくの首にくっつけて暖をとりながら眠ったりもする。

 横に寝そべっていると、視界の大半を天井が占めているけれど、縦にしてもらえると見える世界が変わるよね。重力との関係も変わるから、全身への力の入れ方も変わる。このヨコとタテの世界の切り替えは、大人ならどんな体験に近いのだろう?想像を膨らませるなかで、「横書き」と「縦書き」による体験のちがいが思い浮かぶ。

 じつは、縦書きと横書きの両方が可能な言語は珍しい。日本語はその稀有な言語のひとつ。
けれど、いまウェブに存在するほとんどの文章は、横書きだ。文字だけでなく、動画サイトの再生バー、あらゆるプロダクトを構成するコード、ほとんどの情報が左から右に流れている。
 横書きの世界は、情報の流れに乗り遅れないよう「先へ先へ」と読み進めていく感覚がある。

 対して、小説や詩は、縦書きが多い。
じっくり内容を読みたいときや、どっぷり物語の世界に浸かりたいときは、縦書きのほうが適していると、ぼくは感じる。重力による落下速度は、その物体の重さによらず一定なように、縦書きには情報社会の流れとは切り離された、一定な時の流れが存在しているのではないか。
 縦書きの世界は、じぶんのペースで「奥へ奥へ」と読み深めていくような感覚がある。
 

 横書き、縦書き、それぞれの良さがある。
もし横書きに偏っていると思われた方は、ぜひ縦書きの世界にも触れてみてほしい。そこには、情報社会の力学が及ばないもうひとつの世界への入り口が開かれている。そしてヨコとタテの世界を縦横無尽に切り替えられるのは、日本語を扱う人だからこそ享受できる特権なのだから。

 ただひとつ言い忘れたことがある。「縦抱き」には欠点があるのだ。
それは、ヨダレやミルクの吐き戻しで、肩がべちょべちょになってしまうこと。滝に打たれたみたいに、Tシャツからボトムスまで汚れることもしばしば。

 「キミのために、服は犠牲にするね」そんな夫婦の決断に対して、まだ上下に頷くことができない息子は、ブンブンと首を左右に振っていた。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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