夫のことは大切でなくなるか / 育休16週目

夫のことは大切でなくなるか 育休16週目


 息子が生後3ヶ月をむかえた日に、妻から打ち明けられた。

「夫のことを大切に思えなくなったらどうしよう、と思ったことがある」

 もともと妻は、こどもを積極的に望んでいた人ではなく、妊娠中もこどもを愛せるか不安に感じていた人だ。その妻が、出産直後から「瞬間的に 問答無用に こどものことが可愛い」と変化したのは、ぼくにもわかっていた。写真の共有フォルダも、息子が大半を占め、ぼくはたまに見切れて登場するエキストラだ。

 妻は、机の上を片付けながら話をつづける。
「出産後は、ホルモンバランスも変わるし、そんなふうに思うようにできていると考えるようにした。けれど、夫のことを易々と飛び越える瞬間も出てくる。こどもを守ることに必死で、少しでも気に食わないことがあると『ちゃんとやってよ!』と思うこともあった」

 「たとえば、どんなことかな?」と、ぼくは洗濯物をたたむ手を止め、問いかける。
具体的には思い出せないくらい、生活の些細なことらしい。使ったドライヤーや消臭スプレーを元の位置に戻さないとか、そういう積み重ねのことを言っているのだと思う。ぼくはいつもより丁寧にタオルをたたもうとするが、綺麗に折ろうとすればするほど不恰好さが増し、妻は笑う。


 息子は、無言でじぶんの拳を見つめている。

 「出産から時間が経ってくると、だんだんと冷静になっていく。こどもが、なにが何でも可愛いというわけではなく、あまりに泣いているときは勘弁してよと思うこともあるし、そういや夫も可愛いところもあるじゃんと思うこともある。明確に妊娠前に戻ってるわけではないけどね」少し間をおいてから、妻は言う。



 「本来の自分は、夫を大切にしたいということかな?」とぼくが聞くと、妻は、質問に質問で答える。

 「嫉妬はしなかった?」

 不意な質問に、ぼくも自己探索しながら話していく。
「嫉妬はなかった。息子にとられるというよりも、新しい妻の一面が見えてくることが新鮮だった」

 「それは発見!」と妻は目を見開いた。嫉妬が微塵もなかったことに、じぶん自身も驚く。結婚して8年目に入るが、いまだに妻が他の男性と仲良く話していると、もやもやとするような器が小さい男だからだ。

 「とりあえず、そこに座って。見てもらいたいものがあるから」
妻はぼくをダイニングテーブルに座らせ、パソコンを開きなにかを用意し始める。突然のかしこまった雰囲気に、ぼくは少し身構える。結婚してから、特にやましい行動はなかったはずなのに、変な汗がでてくる。


 息子は、口の中に拳を入れて、クチャクチャと音を出し始めた。

 妻は『産後2年間が最も離婚率が高いこと』を表すグラフをぼくに見せ、ゆっくり語りだす。
「わたしは変わったかもしれないし、これからも変わるかもしれない。でもふたりで向き合い乗り越えていくことが大切なんだと思う」なんだかホッとしたぼくは、一つひとつのことばを胸にいれていく。妻がもう少し何かを話そうとしたとき、息子が泣き出した。

 妻は息子のおむつを替え、ぼくは抱っこをしてあやす。
「織くん(息子)の半分は、オレなんだから、オレも可愛いんだよ」とっさに思いついた屁理屈を言うと、妻は鼻で笑った。 


 じぶんの命より大切だと思えるものが、ふたつもある。
妻や息子がぼくをどう思おうと、その事実だけでこの人生は意味があったと言えるのではないか?変化する妻や息子を尊重しながら、その時その時、お互いにとってよいと思う関係を、ジャズの演奏みたいに創造的に見出していこう。結果よりも、その行為じたいに価値があるのだと思う。


 「引き続きよろしくね」
一連の会話の最後に、妻はそう言った。愛してるとか大切だとか、そんなことばよりも、信じるに値にすることばだと感じた。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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