男を父に変える「感触」とは / 育休2週目

男を父に変える「感触」とは 育休2週目


世のお父さんに聞きたい。
父になったと感じた、忘れられない「感触」はありますか?

人がじぶんの変化に気づくとき、感触が伴うのではないか。
たとえば、甲子園球場の砂に触れた感触に、夏の終わりを痛切に感じる球児。指輪を交換し合う感触に、ふたりが結ばれたことを実感する夫婦。
スラムダンクの桜木花道と流川楓なら、山王戦のラストシーンでハイタッチを交わした感触が、心が通い合った瞬間だろう。きっとね。


変化へのトリガーになる感触、もしくは変わっていたことに気がつく感触が人生にはある。

女性の場合は、妊娠中の胎動や出産の過程など、たくさんの感触のなかで母になっていくのだろう。対して男性は、こどもを産むことができないし、いまだコロナで出産に立ち会えないことや、面会さえもできない病院だって多い。はて男は、どんな感触で父になるのだ?


ぼくが父になった感触は、予期せずやってきた。
10月13日、息子が生まれた日。突然現れた4002gの存在に、生まれた直後は現実味がなかった。じぶんの子だと身体が理解できない。頭ではシミュレーションしていたのに、いざ目の前にすると、本当に愛せるのか?とさえ感じてしまうほど混乱していた。

産声を聞いてまもなく、医師から処置に対する同意書へサインを求められた。
日付・氏名・住所と書いていくと、ある欄で手が止まる・・「続柄」。


書き慣れていない「父」という4画の文字を書いていく。
ボールペンの先が紙にザラザラとひっかかり、インクが紙の上に吸い付いていく感触をこの手に感じる。「あっ紙にも厚さがあるんだ」。そんな風に感じたのは生まれて初めてだった。

ほんの3秒くらいの出来事だったが、ぼくにとっては一生忘れられない、手から全身の細胞が入れ替わったような、男から父に変わった感触だった。

お産を目の当たりにし、感覚が過敏になっていたのだろうか。
そもそも「子育て」とは、頭や言葉では到底どうすることもできないこどもを全身で受け止め、親身に交わることで、もういちど人間としての感覚をピュアに再生していく時間なのかもしれない。

思考や技術よりも、まず「どう感じるのか」感覚そのものが再現不可能なその人だけのオリジナリティなのだ。息子には、じぶんの感覚を大切に生きられる人生を送ってもらえるといいな。

息子が生まれて、10日。
出産に立ち会ってから、まだ息子とは会えていない。チャイルドシートにもベビーベットにもキミの痕跡はない。キミの肌や鼓膜に、ぼくの存在はなにひとつ届いていない。

お産の後、冷静になってわかったことがある。たくさん署名した同意書には、肺に管を通すこと・輸血をすること・手足を拘束することなど、おどろおどろしいことばが並ぶ。
 
のちに、肺の疾患であることがわかった。いまは医療関係者の皆さんの尽力もあり、幸いにも回復傾向にある。1ヶ月間ほどの新生児集中治療室(NICU)への入院で退院できる予定だ。

母子が入院し、ただひとり家に残されたじぶんが不安におしつぶされず、強く日常を生きることができたのは手に残る「父」の感触。そして壮絶だった出産直後に、妻が医師や助産師のみなさんに「長い間ありがとうございました」と口にした。そのやさしくて強いことばの感触が、じぶんの鼓膜により添い、強い意志になってくれた。

きっとこの先も、大変なことはたくさんあるのだろう。
誰にだって生きることは、リスクだらけだ。そうだとしても、苦しいことや嬉しいことも含めてすべて、あらゆる感触や感覚で受けとめ、限りある時間と肉体を愛する人たちのために使い果たしたい。

早く家族で、この家で暮らせますように。
そして、この手でおもいっきり抱きしめたい、じぶんの全感触を使って。


©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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