「まだ空を飛べるんだね」と妻は言う。
息子は生後5ヶ月になる頃から、飛行機がブーンと飛ぶような姿勢を頻繁にとるようになった。
うつぶせの状態でお腹を支点に頭を高くあげ、両手を横に広げて空中をブーンと飛ぶような動き。ときに「おぁーう」「おぁーう」と雄叫びをあげながら、脚をカエルみたいに屈伸させて、気持ちよさそうに空を泳ぐ。
ズリバイやハイハイをする前に現れる動きらしいが、本当に空を飛んでいるかのよう。リビングで窓辺でぼくのお腹の上で、家中の至る所でブンブーンと空を飛ぶ。
「まだ空を飛べるんだね」
その妻のことばで、こどもはまだ何もできないのではなく、固定観念から解き放たれ何でも自由自在にできるスーパーマンに見えてくる。
こどもは遊ぶことも歩くことも話すことも、人を好きになることも、最初から知っていたかのように、いつのまにか身につけていく。大人がこどもに何かを教えるときは、邪魔してることのほうが多いのかもしれない。教えようとするときほど、大人が「できない」と思いこんでいることを、押し付けてしまっていることもある。
どうしたら、邪魔しないで生きられるのだろう?
こどもがこどもらしくいられるように、それを大人が邪魔しないように、じぶんもこどもらしくなりたいと思った。息子が産まれた当初のほうが、しっかり守らなくてはと親としての自覚を強く持とうとしていた。けれど息子といっしょに暮らすことが当たり前になってくると、じぶんが親という感じは無色透明になっていく。
なんでそんなに夢中になれるのか、好奇心を持てるのか、天真爛漫なこどもに感心させられることばかり。親であることよりも「じぶんも、もっとこどもらしくいないとなぁ」と心に抱くようになった。
生後7ヶ月を前にズリバイができるようになり、少しずつ飛行機ブーンの姿勢は減っている。でも、じぶん次第で空を飛べることや、何でもできるってことを失わずにいてほしいなとも思ってしまう。ひょっとして、いまのぼくでも大人の鎧を脱ぎ捨てれば、息子のように空を飛べるかもしれない。
畳に移動し背筋を伸ばして立つ。膝を曲げ、重心を低く構える。身体中のバネというバネを効かせ、垂直に飛び立つ。ブーンというよりは、バタバタバタと不恰好な飛行だけど、いつもより空に浮いているような感じがする。それを見ていた息子は、「エヘエヘへエヘヘへ」と壊れたおもちゃみたいに笑う。彼には、ぼくがどんなふうに見えているのかな。
息子の笑い声以上に、ぼくの膝がぐらぐらと笑ってしまう。
8kgを超えた息子をふだん抱っこしているぼくの膝は、空を飛ぶにはガタがきていたようだ。短い空中飛行は終わりにし、そっと体育座りの姿勢へとソフトランディングした。息子は瞳をキラキラとさせて、しばらくの間、ぼくを見ていた。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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