30万年前の足音 / 育休18週目

30万年前の足音 育休18週目

 2022年、子育てに、ひとすじの科学の光がさした。

 理化学研究所が、赤ちゃんの泣きやみ・寝かしつけのヒントを科学的に解明したのだ。泣いている赤ちゃんを、5分間ほど抱っこ歩きし眠りに落ちたら、5~8分座ってからベッドに運べば、そのまま寝てくれる確率が高くなるという。

 その通りやってみると、たしかに寝ることが多い。
科学的には、哺乳類のこどもに備わっている「輸送反応」が働き、リラックスするのが要因らしい。こどもが親に運ばれるさい、敵に見つからないよう大人しくなる、生き延びるための本能。   

 ギシギシッギシ。
木造住宅に住んでいるので、歩くたびに床が鳴る。夜明け前、眠気で朦朧としながら、こども抱っこし歩いていると、30万年前にアフリカ大陸に生息していたホモ・サピエンスとじぶんの足音が重なっていく。

 ジャングルやサバンナで他の動物や部族に襲われないよう、こどもを抱いて移動していた数多のヒトたち。
この30万年のあいだに、いくつもの命が失われ、それでもつづいてきたのだ。無数の足音で、積み重なってきた歴史を想像すると、じぶんの存在がどこまでも小さくズームアウトされていく。情報やデータとしての歴史ではなく、歴史の内部にとりこまれ、歴史に見られ聞かれているような感覚になってくる。

 
 時は、2023年2月。首相の「育休中の学び直し」発言で、多くの批判の声があがった。
ぼくは、なにかの声をあげることもなく、こどもの声を聞きもらさないよう1日1日を歩んでいるだけの人間だ。育児がどれだけ大変か、首相がどれだけ育児を知らないかを議論したところで、だれかを幸せにする一歩を描ける予感がしない。

 ただ、子育てそのものが学び直しなのではないかとは思う。大人になってこんなに未知で創造的な体験が、他にいくつあるだろう。またパートナーと協力し合えれば、けして余裕はないけれど、お互いじぶんの時間をつくれるときもある。性別や雇用形態を問わず、育休を取得したい人が、取得できる環境を整えることは応援したい。

 進歩しているのは、科学だけではなく、きっと文化もだ。 
政治家がどんな発言をしようと、この10年で育休を取得する男性は増え、仕事に復帰する女性も増えたのは事実。人は「どうしたら、よりよく生きられるか」を迷いながらも一歩ずつ足を前に進め、もしくは三歩進んで二歩下がるを繰り返し、結果的には良い方向に進んでいると願いたい。

 バシンっ!バシン! 
息子は最近、両足を宙にあげ、勢いよく床にたたつける遊びにはまっている。ぼくの足音を打ち消すくらいの力強さだ。

 大きな歴史の流れの中では、一人ひとりの一歩はとても小さく、容易にかき消されてしまう無音に近い存在かもしれない。けれど、その流れに、だれも気づかないとしてもちょっとステップを入れてみる、ちょっと向きを変えてみる。その一つひとつの個々の意思や日常で、やがて大きな流れが変わっていくのだとも思う。

 「なんだか生きるのも悪くないな」と息子が思えるような未来に、じぶんの一歩が少しでもつながっているのなら嬉しい。5年先のことさえ想像もつかない速さで世界は進むけれど、子を想い、抱き、歩くという行為を、人は最後まで手放さないのではないか。いまこの足音は、30万年前の足音であり、きっと30万年後にも鳴り響いている。


©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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参考:赤ちゃんの泣きやみと寝かしつけの科学(理化学研究所)