ベストフラワー賞を受け継ぐ / 育休3週目

ベストフラワー賞を受け継ぐ 育休3週目


こどもに、なるべく語りかける。
それが夫婦間で唯一共有している、こどもとの向き合い方だ。

妻の妊娠中に、「語りかけ」育児(サリー・ウォード著)3000万語の格差(ダナ・サスキンド著)などの育児本を読み、脳の発達にことばがどれだけ大切か認識したのも一理ある。ぼくがことばを職にしており、言語そのものに興味が強いというのもある。
けれど、理屈ではなく、もっと深いところに「語りかける」理由の存在を感じるようになった。

息子は生まれてすぐ、NICU(新生児集中治療室)に運ばれ、いまも治療の一環としてガスで朦朧とさせられている。たまに半目を開けることはあるが、きちんとした意思疎通はできない。 
それでも妻は毎日通いつづけ、息子に静かに語りかけている。これは脳の発達のためだとか、頭を良くするとか、そういう理由ではない。絶対にそうでない。


なぜこうも語りかけたいと思うのか。じぶんを掘っていくと、ひとつ思い出した苦々しい過去がある。
ぼくの通っていた小学校では、夏休みに「植物を育てる宿題」が出された。一年生はアサガオ、四年生はヒマワリ、のように各学年ごとに異なる植物を育てる。

ぼくが水やりを忘れるくらいゲームに夢中になっていると、母は植物に語りかけながら水をあげてくれた。
ことばが通じない植物相手になぜ話しかけるのか、当時はまったく理解できなかった。バカバカしい行為とさえ思っていた。

母の影響かは定かでないが、ぼくの植物は毎年、段違いに大きく育った。学校に持っていくのが恥ずかしかった。休み明けの全校集会では、各学年でいちばん大きく育てた人が「ベストフラワー賞」として全校生徒の前で表彰される。

毎年(妹もいっしょに)、壇上に登らされるものだから、恥ずかしくて恥ずかしくて。学校しか世界を知らない少年のぼくにとっては、真っ裸の東京タワーになって、公衆の面前に立たされてるような羞恥。思わず、母に「もう何もしないで!」なんて駄々をこねたこともあった。

成人してから知ったのだが、母は妊娠中からぼくや妹に語りかけ、音楽を聴かせていたらしい。
母がどんなことばを語りかけていたのか、その中身は何ひとつ覚えていない。18歳までともに住んでいたはずなのに、親の言ったことばは、ほとんど覚えていない。でも、どんな表情や温度で話していたのか、その輪郭だけはほんのりと残っている。

植物に語りかける母は、いつも満面の笑みだった。お腹の中にいた、ぼくや妹に語りかけていたときも、そんな表情をしていたのだろうか。


長年消化できていない、詩人・思想家の吉本隆明さんのことばがある。
「言葉の根幹の部分は、沈黙。言葉は、沈黙にくっついている枝葉にすぎない」

その真意はぼくにはまだ理解できない。ただ「沈黙」とは、けして無音ではないことがわかった。むしろ無音とは対極にあるような、聞こえないが存在するBGMのような存在。
ぼくの少年時代は、聞こえない音楽で常に満たされていたように思う。歌詞は何も覚えていないけれど、そこには確かに存在していた。 

今日も妻を、息子がいる病院まで送り届ける。
息子には、ことばは伝わっていないだろうし、将来覚えていないだろう。一つひとつ覚えられていては、恥ずかしくて何も語りかけられなくなりそうだから、それでいい。

あたたかな沈黙は、NICUの無機質な機械音を打ち消すぐらい、たおやかで堅牢な大木だと知っているから。

面会禁止のぼくは、外で待っていることしかできないけれど笑顔でいようと思う。母のようにはできないから、不恰好な顔の綻びだけどね。

©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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