課題解決や課題発見より「悩みのデザイン」。

 

「クリエーティブとは、課題解決の技術」である。

広告代理店の新人研修で、教えられたことばだ。
クリエーティブとは、だれも思いつかなかったアイデアで課題を解決する技術。
与えられた課題を、いかに鮮やかに解くかを競う競技であった。

 

「クリエーティブとは、課題発見の技術」である。

2010年代半ば以降、「課題解決より、課題発見」という風潮が強くなった。
世の中が複雑化し課題が設定しづらい時代に、課題を発見することが求められるようになったためだ。
クリエーティブとは、だれも思いつかなかった課題を発見する技術にもなった。

 

いかに人より早く、鮮やかに課題を解決できるか。
いかに人より早く、新しい課題を発見できるか。

 

課題が生まれ、解決策が生まれ、また新しい課題が生まれる。
そのサイクルがどんどん速くなり、課題解決も発見もどんどん開発されては、消費されていってるようにも感じる。
課題を解決される側も、解決する側も、ほんとうに幸せになっているのだろうか。

 

そんなことをモヤモヤと考えているときに、マークマンソン氏の本を読んでこう捉えるようになった。

課題解決や課題発見よりも「悩みのデザイン」

つまり「この悩みなら、一生悩んでもよいかな」という悩みの設定だ。

 

 

たとえば、最近出会った企業の中で、おもしろいビジョンを打ち出している企業がいる。
俳優の伊勢谷友介さんが代表の「REBIRTH PROJECT」のビジョンだ。

企業のビジョンは<未来を変える!>風の課題解決や提案型のコピーが多いが、「REBIRTH PROJECT」は人類の永遠の悩み・問いを投げかけている。
小さな課題や悩みが小さくみえてしまうくらい、骨太で、賞味期限が長いことばだ。

 

企業だけではなく、人生に置きかえても、一緒だ。
生きることから、課題や悩みを取り除くは不可能に近い。
どんなに幸せな人にも、生きている限り、新しい課題や悩みが生まれていく。
目の前の悩みを解決し続けるだけでは、ひと時の幸せは得られても、永続的な心の安定は手に入りにくい。

「毒を以て毒を制する」ということわざもあるが、悩みを消し去るのは「悩み」しかないのだ。

 

たとえば、わたしたち夫婦は、二人でも仕事をしているので幸せに思われることも多いが、実際は大変なことも多い。
ただ僕らは「夫婦が、居心地よく生きていけるシステムをつくること」に悩むことは、じぶんたちが生きる意味に値すると納得しているから、他の小さな悩みや課題を受け入れることができる。

悩みを解決し続けることよりも、「この悩みだったら悩んでもよい」という<幸せな悩み>を設定することのほうが、じぶんの人生に対する納得度や幸福度を高めることにつながる。

 

思えば、思春期の学生だって、恋の悩みを解決してほしいのではなく、じぶんが悩んでいたい<恋の悩み>に悩んでいたいのかもしれない。

 

ちなみに、わたしが「この悩みのデザインはすごい!」と思ったのは、デザイナー馬場浩史さん。
馬場さんは、「衣食住のクリエイティブな自給自足」をテーマに生きている人だ。

30代までは東京で、企業のブランディングなどのクライアントワークで活躍されていた。
40代から地方に移住し、「衣食住のクリエイティブな自給自足」を掲げ、自らがつくった衣食住領域のものづくりで生計を立てられている。
参考:「自分の仕事をつくる (ちくま文庫)」(西村佳哲さん著)

クライアントワークのほうが短期的には稼げるので、さまざまな葛藤があったのではないか。
「この悩みなら悩んでもいい」という覚悟は、生きる力、愛する力にもなるのだ。

 

ここ最近「課題解決より、カルチャーだ!ストーリーだ!」のような記事をよく見るようになったが、「悩み」は賞味期限のながい文化をつくる要素ではないかとも思う。
人は永遠に悩み続けるものだから。

 

悩みを解決する手段より、「幸せな悩み」が増えると、人はより幸せになれるのかもしれません。

 

圏外コピーライター 銭谷侑